5.丸ビル

丸ノ内ビルヂング

工事中の丸ビル(大正11年夏ごろ)

カーテンウォール工法など新しいアメリカ式建築法を駆使した丸ノ内ビルヂングが完成したのは1923年(大正12年)2月。地上8階、地下2階。延べ床面積6万2,000㎡で、それまで一位を占めていた海上ビルディングの約3倍の広さだった。丸ビルは下駄履きが禁止だったため、通勤者は人によっては地階の下足で草履に履き替えたという。また、地下1~2階に食堂やショッピングモールを備えており、こうしたインフラがサラリーマンの職住分離の不便さを補填し、より快適なワークスタイルを構築していったといえる。ちなみに、1920年代後半で丸の内のワーカーの数は約3万人といわれ、その約1割がタイピストや女事務員、ショップ・ガールなど女性だったという。丸ビル完成半年後の9月に関東大震災が起き、丸の内では警視庁が全焼したほか、建築中の内外ビルが倒壊するなど大きな被害を受けた。この災害を乗り越え、1929年(昭和4年)には250台の自動車を収容できる「丸の内ガラーヂビルヂング」も完成し、モータリゼーション社会の到来を予感させる。