3.新東京ビル

三菱第3号館

第3号館

三菱第3号館は、1893年(明治26年)6月に建設を着手して1896年(明治29年)4月に竣工した。曾禰達蔵設計で、日本初のエレベーターを設置している。竣工当初は日本郵船会社の本社ビルに供された。このビルは、1918年(大正7年))に三菱東7号館と改名される。また、1929年(昭和4年)には別館を建築し、後に「丸之内会館」として使用される。大名小路から姿を変えた丸の内は、木造とは一線を画した「石」の文化をつくることを目指したわけで、この地は近代建築群の集積地となっていく。これは、その後に建てられた東京駅舎や、昭和の建築として初めて重要文化財に指定された明治生命館にも綿々と受け継がれている。三菱合資会社が、石のなかでもとりわけ赤煉瓦にこだわったのは、一つひとつのレンガを積み重ねていくという行為や、レンガの色がすべて微妙に異なるのに総和としては一つの色をつくり上げていることが、これからの日本のビジネスの在り方につながるという思いがあったためといわれている。