2.明治生命館

三菱第2号館

第2号館

三菱第一号館に次いで、翌1895年(明治28年)7月に完成したのが三菱第二号館だ。設計は一号館同様に英国人建築家ジョサイア・コンドルと曾禰達蔵で、主に保険会社の用に供するものとして建てられ、当初は東京海上火災保険会社、明治火災海上火災会社、明治生命保険会社がこのビルを本社とした。「商業」という視点で建物をみると、江戸時代は大店にしても番頭さんを筆頭に店に住み込み家族的なコミュニティを基本としていた。しかし、明治維新を迎えオフィスを「賃貸」するという新しい発想の在り方がこの丸の内から提案され、いままでの大店とは違う職住分離のコミュニティが創設され、働く人のワークスタイルは江戸時代と大きく変わっていった。つまり、建築様式の変遷がサラリーマンの働き方を大きく変えたことになる。しかし、当時はまだ、フロアを借りるというのが一般的ではなく、会社ごとに玄関を設ける縦割り長屋スタイルを踏襲していて、内部には畳の部屋も設けられていた。