8.桜田門外の変

1860年、江戸城桜田門外で水戸藩と薩摩藩の脱藩浪士たち18名が彦根藩の大老井伊直弼(いい なおすけ・1815年~1860年)を殺害した事件。この事件を契機に尊王攘夷運動が激化し、明治維新へと時代は動いていく。井伊直弼を襲い、その首を討ち取った水戸藩士や薩摩藩士は江戸城の堀に沿って北に逃げた。しかし、彦根藩士との戦闘で深手を負っていたので、和田倉門の前で水戸藩士・広岡子之次郎(ひろおか ねのじろう・1840年~1860年)が、和田倉門先の若年寄遠藤但馬守(えんどうたじまのかみ)の辻番所前で薩摩藩士・有村治左衛門(ありむら じざえもん・1839年~1860年)が絶命する。桜田門から日比谷門、そして馬場先門、和田倉門と、彼らは丸の内のあたりを血まみれで逃走したことになる。