7.明治安田生命ビル

定火消御役屋敷諏訪主殿頭 安藤広重
(じょうびけしおやくやすわとのものかみ)

定火消というのは職名で、江戸最大の大火と呼ばれる「明暦の大火」の翌1658年に4千石以上の旗本4名を選び、それぞれに与力6名、同心30名を付属させて設置した幕府直轄の消防組織。若年寄の支配に属し、最初は4組でスタートしたが、後に10組となったため十人火消しとも呼ばれた。10組とは、赤坂溜池・赤坂門外・飯田町・市谷左内坂・小川町・御茶ノ水・麹町半蔵門外・駿河台・八代洲(八重洲)河岸・四谷門外で、八代洲河岸定火消屋敷が現在の明治生命館のところに設置された。ちなみに、八代洲河岸(やえすがし)の名前は、徳川家康に重用されたオランダ人のヤン・ヨーステンの屋敷があったことにちなむ。そしてこの地は、安藤広重生誕の地でもある。安藤広重は八代洲河岸の定火消同心・安藤源右衛門(じょうびけしどうしん・あんどうげんえもん)の長男として生まれ、13歳のときに相次いで両親を失い、定火消同心の職を継ぐことになる。しかし幼い頃から絵が好きで、15歳の時に歌川豊広の門人となり、やがて家業の定火消同心を辞め浮世絵師を専門の職業とした。