ステージ1 江戸末期。大名たちが行き交う江戸時代のビジネスセンター大名小路 ステージ概要を読む
徳川家康が大丸有地区で行った地盤整備
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江戸時代に大丸有地区にあった大名屋敷
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大丸地区にあった江戸幕府の行政所
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徳川家康によって江戸城が拡張された際に新たに外堀がつくられ、元々の外堀が内堀となりました。この新しい外堀の内側は、江戸城郭内にある地区として「御曲輪内(おくるわうち)」といい、なかでも和田倉門、馬場先門、日比谷門あたりは丸の内と呼ばれるようになりました。ここは、江戸城本丸のお膝元にあたり、老中や若年寄など幕府の要職を務める譜代大名や、外様大藩の屋敷が建ち並んでいた事から「大名小路」と呼ばれていました。「大名小路」にあったのは、いわゆる上屋敷といわれるもので、参勤交代制度で原則1年ごとに江戸と本国を行き来する大名の江戸における居住地です。大名は江戸にいる間、しばしば江戸城に登城する必要があったため、この地域は究極の職住接近区域ともいえます。上屋敷は、江戸時代の政治・経済・外交活動の本拠地ともいえ、現在、世界に名だたるビジネスセンターとして発達した大丸有地区ですが、その歴史を辿ると発祥は江戸時代の「大名小路」にあったといえます。また、経済面では参勤交代による俸禄以外の特別手当や江戸在住の大名妻子とその周辺の消費が、江戸の経済を活性化したといわれています。なお、この屋敷地は大名が所有するものではなく、あくまで幕府から支給されていたものです。そのため、要職を務める譜代大名は役職が変わると必要に応じて他への屋敷替を命じられており、大名といえどもいまのサラリーマンと同じ悲哀を感じていたのです。

取材協力:千代田区立日比谷図書館